よっくんのおててつないでウォーキング

よっくんとカブちゃんのウオーキング珍道中物語 

唐津街道をゆく第5日目その2「生の松原と元寇防塁」

唐津街道「姪浜宿」を抜けると、一面に松林が広がってきます。
この辺りが、「生の松原」と言って、約2kmぐらい松林が続いています。
この生の松原は、昔、神功皇后が新羅出陣の前、この松原の枝を折って
無事帰国できるなら松を根付かせてくれと逆さまに植えたそうです。
その松が根付いたから「生の松原」と名づけられたそうです。
この近くに「神功町」(じんこうちょう)という地名がありますが、
神功皇后にかかわる地名でしょうか?
松林の左側には、「壱岐神社」といって、壱岐直真根子(いきのあたいまねこ)が
祀られています。


唐津街道の海岸線を行くと「元寇防塁」が残っています。
1206年、モンゴル帝国を造ったチンギス・ハンの孫で第5代皇帝フビライは、
1271年国号を「元」とし、当時の南宋を統一、高麗も服属させた。
日本にも従えよと使者を送りますが、執権北条時宗はこれを拒否しました。
これにより、元軍は文永11年(1274)対馬、壱岐を襲ったあと、2万5千人の
兵が博多湾に上陸した。これに対し、迎え撃つ日本軍は、戦法や武器の
違いで防戦一方となり元軍の一方的な勝利になった。
然し、元軍は当日は陸に上がらず次の日の為に海上で過ごした。
その日の夜、博多湾に吹き荒れた台風により元軍は壊滅的な被害を被った。
以上「文永の役」。



鎌倉幕府は、元軍の再度の襲撃に備え、各地の御家人に博多湾沿岸20kmに
防塁を作らせ警戒にあたった。
弘安4年(1281)元軍は兵10万人を引き連れ再びこの博多湾を攻撃した。
然し、今度も大風が起こり、元の船は沈没した。(弘安の役)
幕府は第3回目の襲来を警戒していたが、そのころにはモンゴルの勢力も
落ち始め、第3回目の戦は回避された。

このとき生まれた言葉が「神風」です。

元寇防塁の写真をアルバムにて公開しています。
カテゴリ
街道を歩く
日時
2010年03月17日13:23
コメント
(11)
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(0)

みんなからのコメント

toho-tohoさん
お嬢さんが、「元寇」を勉強されているんですか?
近くには蒙古塚といって元の人を弔った処もあります。
「元寇」で解らないことがありましたらお教えしますよ。
コメンター
よっくん
日時
2010年03月18日11:50
なるほど・・・先日娘が元寇のあたりを勉強していました。
こうして解説していただくと、教科書よりもわかりよいですよ。
コメンター
toho-toho
日時
2010年03月17日21:49
countrywalkerさん
「元寇」の歌、今youtubeで聞きました。
勇ましい歌ですね。
「時宗」の主役さん、ホント他の方で有名になりました。
あの大河ドラマ視聴率はどうだったんでしょうか?
コメンター
よっくん
日時
2010年03月17日16:57
私も何年か前の大河ドラマ「時宗」を思い出しました。主役の役者さん、その後ド
ラマ以外で話題が多かった人でしたね。
kumasanが小学校で習った歌、これは全く知りませんでした。
コメンター
country walker
日時
2010年03月17日16:36
おせつさん、kumasan
コメント有難うございます。
おせつさん
時宗が出てきました。(笑)
何年か前大河ドラマで「時宗」がありましたね。
脚色が現実とちょっと違っていたような気がしていました。
鎌倉幕府もこの役で、屋台骨がゆらつきましたね。

kumasan
私、歌があることは知っていましたが、
聞いたことがありませんでした。
ネットで調べて見ます。


コメンター
よっくん
日時
2010年03月17日16:14
弘安の役の文字を見て、小学校の頃、歌ってた歌が口をついてでましたよ。
「四百余州を挙る 十万余騎の敵ーーー弘安四年夏の頃ーー」
戦争中の小学校5年ぐらいで習ったように思います。
替え歌もにやがって歌ってました。
コメンター
kumasan
日時
2010年03月17日15:19
ここで鎌倉時代の北条時宗が登場するのですね・・・!

このように歴史は繋がっており、たどって行くと楽しいです。
コメンター
おせつさん
日時
2010年03月17日15:18
皆様コメント有難うございます。
能古島は今話題の島ですのでアップしました。
モンモンさん
「神風」は、第二次大戦まで神風特攻隊とか
日本は神の国、神風が吹くから戦争に負けない・・・・
そんな思想も出てきたそうです。
この「元寇」という歌もあったそうです。
私は、知りませんが・・・(笑)
ぶたころしゃん
政治に神風が吹くのは私も同感です。
このときの戦(いくさ)は、日本側は、「われこそは・・・・・」
と名乗って行ってましたが、元は「てっぽう」という武器で
名乗る前に攻撃していたそうです。
アッキーさん
歴史で習いましたか?
私、学生時代、アルバイトで元寇防塁の復元作業を
行いました。復元前までは、福岡城の城壁や、近代では
家庭の漬物石、庭石に使われていたそうです。
コメンター
よっくん
日時
2010年03月17日14:53
学生の頃に教科書で習った歴史より、
よっくんさんのブログの方が引き込まれて面白いです!

生の松原は、まだ自然が残っていて、
その場にいると不思議と時が止まったように感じられる
不思議な場所のように感じられます。私も大好きな場所です。

唐津街道も、もうすぐ大詰めですね。
応援しています
コメンター
アッキー
日時
2010年03月17日14:26
日本の政治にも神風が吹いてもらいたいものです。
しかし、島国と言うのは大きな堀に守られた城のようで海が日本を守ってくれて
いるのですね。長距離飛行が可能になった航空機時代になり変わってしまいました
けど。
コメンター
ぶたころちゃん
日時
2010年03月17日14:21
なるほど 「神風」の意味はこんなところから来ていたのですね!
「博多湾は攻撃されないよ!」人的守備と神のお力により守られている!そんな
感じがします。

松だけのそんなに沢山生えている道って珍しくないですか(σ゚∀゚)σYO!!
コメンター
モンモン
日時
2010年03月17日14:10

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